入院31日目 死にたいくらいに憧れた!?
12月5日木曜日。入院31日目。
今日は例のカラオケレクリエーションの日でした。迷ったけど、他にやることもないので結局行ってきました。
で、長渕剛の「とんぼ」を歌いました。選曲どうしよう問題ですけど(この回参照)、今日はもうジジババ受けみたいなのは考えず、単純に今歌いたい曲にしました。それが本来のカラオケなんですけどね。ウォーウォーウォーって歌うの、気持ちいいですよ。自己陶酔です、公開オナニーです。
もっとも、郷土のスーパースターとはいえ、別に長渕剛が好きってわけじゃないんですけどね(※ここ鹿児島ではそういう趣旨の発言をすると非国民ならぬ非県民として条例により罰せられます)。
ただ、こないだも言ったように(この回参照)、長渕が好きというわけではないけど、この曲は、特に2番の
明日からまた冬の風が
横っつらを吹き抜けて行く
それでもおめおめと生きぬく俺を恥らう
ってとこは、好きで。
とは言え、
死にたいくらいに憧れた花の都"大東京"
って歌詞がありますが、僕は東京への憧れは全くありません。今日はその辺りの話をしていこうかなって思います。
あれは僕が中学3年生の頃。大体10年前のおはなしです。
さすがにね、その頃は、少しは東京に憧れてましたよ。なんせ鹿児島のクソ田舎の中坊ですから。吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」のリバイバルブームが来たのもちょうどその頃ですしね、俺も東京でベコ飼おうかという気持ちにさせられましたよ。
しかし! その気持ちは秋の修学旅行で消え失せました。この話すると学校、ひいては正体がバレそうなんですけど、書いちゃいます。
それこそ行き先が東京だったんですよ。ただ、いかにも田舎の学校という感じなんですけど、企画全体から(どこで何をしたとかは書けません、ごめん)
「将来は東京に出て一旗揚げろよ」
というメッセージがひしひしと伝わってきて…
今思えば、そのメッセージは、僕らのそういう漠然とした東京への憧れをより具体的なイメージに高めた上で応援してくれるものだったんだろうと思います。親心的な。
でも、あまりにもそれが強くて、かつステレオタイプ的で。要はゴリ押しだったんですよ。もうこれ書いてて恥ずかしくなるようなクソ田舎の思想ですけど、「東京に出ることだけが成功だから、東京を目指せ」みたいな感じで。
それで、ただでさえアマノジャクな上に、15歳というお年頃の僕は東京への憧れが消え失せてしまいました。いや、心の奥底には憧れは残ってたかもしれないけど、とにかく反発しちゃって、
「誰が東京なんか行くか」
って。それで、少なくとも東京はないなってことになったんです。ちなみに、この時はまだ「地元の大学に進学するのは死んでも嫌」とも思ってました。それが気が付いたら地元の大学に入っちゃってるわけですけど、その話は長くなるんでまたの機会に。
ともあれ、その修学旅行をキッカケに、僕は東京志向を捨てた、と言うか、東京志向が消え失せたわけなんです。もちろん、逆に東京志向が芽生えたり強まったりした人も少なからずいましたけどね。東大とか東工大とか行った人もいるし。
しかし、考えてみると、僕はそういう「ゴリ押し」に反発して人生の方向性を決めてきたことに気付きました。なかなかのアマノジャクですね。友達に持ちたくないタイプ。
と言いますのも、ここ10年ぐらいずっと、まぁ最近は一時期程ではない気もしますが、世の中ではグローバル、グローバル、連呼されてるじゃないですか。でも僕はグローバルという言葉に対しても、流行れば流行るほど反発してきました。アマノジャク。
「そしたら国内のことはどないするんや、ほんならワシゃローカルでいくわ」
ってな具合に。それで、色々迷った時期もあるんですけど、結局、グローバルって言葉がもてはやされていたことが一因で、地元の大学に進学したんです。
それから、これもここ十数年でしょうか、やたら中高や大学のパンフレットなんかにキャッチフレーズとして使われていますが、
「21世紀のリーダーを育成」
みたいなの。これにも僕はすごい抵抗感を覚えて。
「そないリーダーばっか育てて、部下はどこにおるんや」
「4番打者ばっかりおってもあかんやん、昔のジャイアンツかいな」
って。もはや一種の言いがかりかもしれませんが、10代ってそんなもんじゃないですか。
それで、僕はリーダー志向ではなく、どちらかと言えば、いやむしろ明確に、
「(リーダーの対義語としての)フォロワー」
「歯車」
「駒」
としての生き方を意識するようになりました。正直「俺が俺が」タイプが多い(どっちが良いとかいう話ではありません)医学部に入ってからは尚更。実現できているかは別として、何が求められているのかを理解して、その通りに動く。リーダーだけじゃなくて、そういう人も、組織には必要じゃないですか。むしろ、リーダーしかいなかったら船頭多くしてナントヤラで、そっちの方がたくさん必要じゃないですか。なのに世間ではそれが軽視されてる気がして…あくまでどっちが上で下でって話じゃなくて、どっちも必要なピースなのに…そして僕のアマノジャクに火が点くわけです。
ちなみに部活のキャプテンとか、リーダーの立場を仰せつかることもしばしばありますけど、そういう時はあくまで「調整型」のリーダーに徹して、みんなの利害を調整します。そういう意味では、普段歯車や駒として振る舞っていても、そのスキルを活かせばひとつのリーダー像は示せなくもないと思います。ストレスたまるけど。
野球で言ったら、川相ですよ。打線には、チームには、ホームランバッターだけじゃなくて、バントや右打ちができるバッターも必要なんですよ(くたばれセイバーメトリクス)。組織のために、人生送りバントですよ。給料は清原や松井の方が高いかもしれないけど、川相もジャイアンツに欠かせない戦力なんですよ。僕はそうありたいと思っています。あるいは元木でもいいけど。(プレイスタイルとして)清原タイプが多い医学部の中では逆にオンリーワンの強みを出せるかもしれないし。
そんなわけで、今日はカラオケの話を端緒に、僕のスタンスに関する話までさせてもらいましたけど、
「10代~ハタチ頃に見聞きしたものがその後の人生に与える影響はデカい」
「そしてその影響はそのまま作用するとは限らない、逆方向のこともある」
という感じですね。みなさんはあの頃どんな感じでしたか? 何を見て、聞いて、考えましたか? ちょっと思い出してみると面白いですよ。恥ずかしくもあるけど。
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