親への留年告白
ついに決断の日が来ました。
3月18日、ついに親に留年の事実を打ち明けることができました。進級が絶望的と突如判明してから13日、正式に進級判定が発表されてからは4日も経っています。僕にとってはあっという間でしたが。その間、僕は仮面浪人ならぬ仮面留年をやっていたのです。
独り暮らしなのかどうなのかとかここではまだ内緒にしておきたいので、どこでどうやって伝えたのかとか細かいことは言えませんが、当然、ほどなく家族会議、いや、両親による尋問が始まりました。
両親を含め、親戚縁者に医者や医学生がいないため、いかに異例で想定外で不運だったかとか、7人もいる「仕方ない」留年だったか、など、こちらの言い分は全くわかってもらえません。そんなもんなんでしょうけど。それどころか、いかに怠惰だったか、いかに趣味の野球観戦や車いじりにかまけていたかをなじられる展開に。それも事実っちゃ事実なんですが。そして、どうしてこうもお前はやる気がないんだみたいな話になったその時、僕は突然爆発してしまいました。
「そうじゃないんだって!」
とヒザを叩きながら思わず絶叫。これでようやく、一方的にまくし立てていた両親は聞くモードに。
そこから、これまで何年間も黙っていたいろんなことを、うまく言葉にできないながらも、少しずつ、でも思いっきり、吐き出しました。
- 医学や医療に必ずしも興味があるわけではなく、モチベーションを失いつつあったこと
- 入学前の理想と入学後の現実とのギャップに苦しみ、精神的な負担になっていたこと
- カンニングや内職が横行して「点数さえ取れればいい」「自分さえよければいい」という風潮が蔓延しており、人間不信に陥っていること
- それらのせいで精神的な不調を抱えていること
- その結果過敏性腸症候群と思われる症状など身体的な不調も抱えており、午前中は登校もままならないこと
- 心がぶっ壊れてるから、遅かれ早かれ躓いていたであろうこと
- 心身の不調のために病院に行きたかったけど大学のカリキュラム上休みづらく、病院に行ったら行ったで学校についていけなくなってただろうし、行かずに耐えてたら耐えてたでいつか学校に行けなくなってただろうし、どうしようもなくなっていたこと
などなど、話している途中で不意に涙がこぼれて、最終的には涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、嗚咽しながら、ぶちまけました。今年で25になるのに、あれはとても他人には見せられません。いや、両親でも恥ずかしかったくらい。でも、正直言って、精神的な限界に達していたというのは事実で、いつかは心の堤防みたいなものが崩れるんじゃないかと思ってたんです。果たして、このタイミングで崩れてしまったんですね。そうなったらもう自分では止めることはできません。
「もっと早く相談してくれればよかったのに」
なんて言われましたけど、そういうのともなんか違うじゃないですか。一部の友人やツイッターなんかにはぶちまけてましたけどさ。僕も普通なら社会人やっててもおかしくない歳なんだし、基本的に思ってることを人に言わないタイプだし。
「いつからだったの?」
なんて訊かれて、
「特にひどくなったのは年明け位からだけど、そりゃもう4年間ずっと」
と答えた時の、両親の申し訳なさそうな顔には、こっちも申し訳なくなりましたね。でも、ホントなんだもん。仕方ないよね。
ともあれ、最終的には全員涙目になりながらも、留年を含めた現状に対して、無事に理解してもらうことができました。自分の努力不足もそれはそれで事実なのに結果的には棚に上げてしまったことは、ちょっと申し訳なかったですが。
ここから再スタートです。そのための準備がようやく終わりました。いや、正確に言えば、これから病院に通うなどして再び頑張れるようになるための準備をしなきゃいけなくて、その準備のための準備ができたというところでしょうか。とりあえず気持ちは晴れました。これでいいのだ。
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