夢追いぼっと

2留目突入、もう後がない大谷世代の医学生のブログ

突然の留年決定(後編)

前回のあらすじ…3月5日、最後の追試を終えて留年回避を確信し、ようやく一息ついた僕。しかし、ふと携帯電話を見ると…

 学年の連絡用のLINEグループに、この日追追追試を受けた某科目とはまた別の某科目の合否が掲出された旨が書き込まれ、その掲示物も添付されていました。その科目は8月に試験があった科目で、なぜ今まで発表を引っ張ったのかわからないけど、もう追試や変更ができないこの時期まで引っ張ったということは不合格にはできないだろうし、そもそもこの科目は例年ある条件を満たせば試験の出来にかかわらず合格がもらえるとの先輩情報で、僕はその条件を満たしていたし、特に心配はしていませんでした。ただし、他の科目の追試などで忙しかったから、先輩情報を信じて試験はほぼノー勉…

えっ…

 完全に想定外です。僕は即座に飛び起きて、某科目の教授室に駆け込みました。この先生とは顔なじみということもあり、交渉を試みました。そのある条件を満たしているんだから単位をくれないか、その条件以外にも追試験やレポートを課していいから単位をくれないか、もうお情けでもなんでもいいから単位をくれないか…しかし先生は頑として認めてくれません。しばらく押し問答のようなバトルを繰り広げていると、同じ状況の同期2人も教授室に駆け込んできて、最終的には3人で頭を下げました。しかし、やはりどうにもならず、最終的には教授室を追い出されました。

 この時点で進級は不可能だと悟りました。もうこの某科目の教授に説得の余地はないし、あの某科目の教授によれば進級判定のための成績はもう確定させなきゃいけないらしいし。2人の同期は、呆然自失なのか、諦めきれないのか、

「やべえよ…」

と呟きながら教授室のドアの前で何十分も動くことができませんでした。僕はこの時点で既に諦めが付いていましたが、すぐに立ち去るのは薄情な気がして、少しだけ付き合ってあげました。でも、

「ここでこうしてても仕方がないからこれからどうするか食堂で話し合おうぜ」

という提案が容れられなかったので、最終的には彼らを置いて帰りました。

こうして、一時は確信した進級が絶望的なものとなり、一日のうちに天国から地獄へと突き落とされたのです。僕らの点数が悪かったにしても、いくらなんでもひどいよね? 残酷だよね?

 ともあれ教授室でこれはダメだと悟った瞬間から、これからどうするかを考え始めました。

 真っ先に浮かんだのは、自殺。常にメンタルの不調を抱えているということもありますが、この後すぐ、帰り道にでも、と考えました。でも、今すぐに死んだら、あのエッチな本はどうする? あのエッチなビデオはどうする? あのエッチなグッズはどうする? そんなことも間髪入れずに浮かんできたので、ひとまず今すぐには死なないでおこうと思いとどまりました。そうして冷静になってさらに考えたら、僕が借りている奨学金のことも頭をよぎる。もし僕が死んだら保証人=親が即時一括返済しなきゃいけないけど、我が家にその余裕はない…これは死ねない。

 それから、その奨学金を含む経済的なこと。一般的な奨学金は留年すると進級するまで支給が止まるけど、僕のは出所のスポンサー様が特殊だから、僕の場合はどうなるのかスポンサー様に頭を下げつつ問い合わせなきゃ、留年中も借りられるか交渉しなきゃ、ダメならバイト先に頼んでシフトを増やしてもらうか掛け持ちのバイトを探すかしなきゃ、授業料はどうなるのか学務課に問い合わせなきゃ…矢継ぎ早に浮かんできます。

 とにもかくにも、いきなり地獄へと突き落とされたわけですから、不安でいっぱいです。ただ、幾多もの試験や追試に追われていたここまでの数か月間感じ続けていた、先が見えないことによる不安と比べたら、いくぶん楽な面もありましたが。悪い結論でとはいえ先が見えてきましたし、結果はどうあれ試験が全て終わったことによる開放感もありましたし。

 それはそうと、この状況は親にどう話せばいいんだ…​ 言い出す勇気を振り絞るための数日間にわたる闘いが、こうして始まりました。



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